最近 ずっと頭が重かった。
何かが違う。みんなこれだけ一生懸命生きているのに
しあわせから遠ざかっているような気がする。
すでに十分しあわせだということを知らずに。
大阪都の是非を決める投票のひと騒動で
なんだかいろんなことが明るみに出たように思う。
古くさい考えの高齢者が経済の発展にブレーキをかける
西成みたいな悪評高い町は名前すら抹殺すべき
われわれが求める「変化」を拒むのは
自分の失敗を社会のせいにして遠吠えする「負け組」だ
というような、愛もやさしさもない
ひとりで大きくなったような顔をした、もうひとつの社会の存在。
その高齢者たちが拓き、耕し、播き、青春をひきかえに
積み立ててきた街の中で
若い人たちは得意げだ。
むすびの本所さんの病室にいると、ほとんど見舞い客のない
ベッドから動けないお年寄りたちばかりを見る。
静かにテレビを見ている人
ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、きょろきょろ頭を動かしている人
思い言語障害で「ああ!ああ!」と叫んでいたおじさんもいるが
ある日、なんとか聞き取れることばで「ごめんね、うるさくて、ごめんね」
と繰り返すのを
本所さんがなんとも慈愛のある顔で見守っていたこと。
その人たちの歩んできた人生を 誰が知っているというのか
誰が「ご苦労さま」と肩をたたいてくれるのか
彼らがつくった道の上を平気で闊歩する
自分に 社会に 最近は腹が立ってしかたがない。
で、やっぱり労働するのが人の道だと考える。
お金を稼いで税金を納めるもよし
花を植え、野菜を育てるもよし
おむつの替え方を勉強するもよし
道端のごみを拾うもよし
有償無償に限らず、動けるうちは働くことだと
やっぱりそう思う。
社会性。それをもつこと。
自分と家族以上の視野を持つこと。