雨の中 日舞の慰問に行った。
今回は歌をうたう人たちとのグループで 和歌山の特養まで。
衣装を着込み 車に5人乗り込んで
ドサまわりの劇団のような自分たち。
手弁当で 仕事休んで 稽古して 衣装準備して 行くのだから
モノ好き としかいえないのかもしれない。
しかしみんな このボランティアをやるために
ヘルパーをしたり 会社を運営したり アルバイトして
人里離れた建物に隔離された お年寄りの笑顔を見に
でかける。そしたら自分もまた仕事をがんばれるのだ。
こっちも大いにいただいているのだ。
自分が出せるものを差し出して 元気をもらう。
ボランティアって 本来循環型なはずなのに
一方的なイメージになっているようだ。
とにもかくにも こんなことができるのも「好き」だから。
好き だけでは生きていけないかもしれないけど
好き と言った瞬間から それは自分の責任になって
自分の世界が生まれるのだと思う。