今年はなんだろうね ついに 地獄の釜が開いたか 天国の門をくぐったか わが身は抵抗する間もなく 押され、推され 先へとまた進む。 昨日はケニアの友人たちに会いに 羽曳野に行った。 小さなこどもが両親をなくし さらに小さい兄弟を負ぶって 餓えながら、雑草を食べて 生きながらえた話をあらためて聞いた。 今日は西成の商店街で足ケアのイベント。 声をかけた車椅子のおじいさんが 自分よりヨメの足が大変やねん と、今度は自分がおばあさんの車椅子を押しながら おぼつかない足どりでやってきた。 見たことや聞いたことが 廻りつながり 結局 なぜ自分が生命を与えられているか 意味を問うしかなく 逃げるべきじゃないんじゃないか すなわち 変わること。
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